勉強カフェ

もうブログをやっていることすら忘れてました。もっと気楽に書けばいいんですよね。

さて、私の職業は大学教員なのですが、前職と比較してもなかなか時間に追われる職業です。まず授業は毎週必ずやって来きます。その準備をしなくてはなりません。1時間半話す題材を整理するのは、なかなか大変です。それに理解度クイズや宿題なんかを出した場合には、それらの採点もあります。

 

その他に大学教員を忙しくするのは「校務」と言われているものです。大学教員は学生部、教務部など大学の部署の運営にあたるための委員会にも所属することが多いみたいです。私は1年目は学生委員として、2年目以降は国際センター委員としての仕事をしています。

 

また、自分の研究もガッツリしたいところです。プロフィールにも書きましたが、僕は国際協力に関する研究をしています。今は、インドネシアと「持続可能な開発目標」について研究中です。

 

この3つ、つまり教育、校務、研究を同時にこなしていくのはとても大変です。自分が大学生の頃、教員は何をしているんだろ?先生いつも研究室にいないなーと思っていた疑問が解けました・・・。メリハリを付けないと、教育と校務のルーティンで「忙しく」なって研究が全くできません。そもそも研究をしていない大学教員は、案外多い気もします。

 

そこで僕は「勉強カフェ」という場所で切り替えをすると同時に、研究をしようとしています。勉強カフェは早く言えばフィットネスジムを想像してもらって、そこで運動の代わりに勉強をすると考えると想像がつくかと思います。

 

僕にとって「勉強カフェ」は適度に他の方の目もあり、集中できる場所です。今日、このブログを書いてみようと思ったのも、そこのスタッフで大学の修士課程に通う方がブログを書いていたのでつられたからです。「勉強カフェ」は、このように普段の生活で忙しさやルーティンに埋没しそうになる中、別のことを考え、行う場所になってます。

 

 

 

ボランティアって何?

 またまたちょっと自分が思ったことを書きます。

 大学教員になって、学生とボランティア活動を立ち上げました。内容は、公立小中学校に通う外国にルーツのある学童の学習支援です。最近外国人のお子さんが言葉の面、学習の進捗などの関わらず、公立小中学校に入り年齢だけで相当する学年で学ぶというケースが増えています。活動内容はまた後日書きますが、要は大学生が放課後そうした外国人の子どもたちの学習支援をするというものです。

 私の当初の考えとしては、日本で国際協力を学ぶ学生に現場の雰囲気を少しでも味わってもらいたいという気持ちで始めました。しかし、この活動を通して多くのことを学ぶ結果となっています。

 先日、実際に国際支援の実務を行っていた際に知り合ったいろいろな方からお誘いを受け、国際ボランティア学会という学会に入会し、先週学術大会に参加してきました。先述のボランティアもしているし、何か情報も得られるかなと入会しました。

 しかし、学術大会での発表などを拝聴し、自分の考えもかなり変わりました。ボランティアと聞いて、いわゆる国際協力を仕事と給料をもらってやる、つまりプロがやる支援と比較して小規模で、かなりできることも限られているというイメージを抱いていました。まあ、それは正しいのでしょうが、一段下に見ていたというのが事実かと思います。

 ところが、学術大会で再認識したことは、ボランティアはする側、される側を含有して初めて「ボランティア活動」が成り立つという点です。国際的な支援においても、例えば社会開発であれば参加型や草の根からのアプローチなどの言葉が頻繁に使われます。それは地元のことを理解して、社会や文化に沿った支援をという意味です。そうでないと持続的な開発に繋がらないということでもありあます。

 しかし、国連機関に勤務していた間、そのように言う人には本当に多く出会いましたが、それを実行している人には出会いませんでした。中には「魚を与えるのではなく、魚を取る方法を教える」みたいなもっともらしいことを言う人もいます。その人「方法」教えられるんですかね?というか、これはまさしく支援される側を支援する側が見下していることが無意識に現れていしまっている表現です、よく考えれば。

 一方私も最近まで過小評価していたボランティアは、全く違います。多くの場合、与える物や教える技術などはありません。またその多くが長期にわたり、また個人個人の名前を覚え状況を共有、理解しながら行われます。この点で先に書きましたように、ボランティアは、受ける側、提供する側がいて初めて成り立つ活動なのです。支援は片方でも成り立ちますね。

 現在、いろいろな方とお話し、また大学生と勉強する小中学生を見て、当初冒頭のボランティアを立ち上げた時とは、ボランティアに対して全く違うイメージを持っています。ボランティアには、かなり社会を変える力があると実感しています。

 

 

 

 

オリンピックと国家について

2018年冬季オリンピックが終了し、テレビ番組も通常のプログラムに戻りました。多くの日本人選手が健闘、メダルを獲得した選手、全力で競技に挑んだ選手、皆楽しませてくれました。

しかし先日このオリンピックに関して、日本人の国や国旗に対する姿勢がおかしいとする記事を見て、違和感を覚えました。それはフィギュア・スケートの羽生選手や多くの他の選手が国境や国家という枠組みを超え、海外のコーチに指導を仰ぎ、海外を練習場所にし、国境や国家という枠組みをいるからこそ活躍できたのであって、「どこの国の代表が勝った」と表現したり、その国の元首(日本の場合は安部首相)がお祝いを述べたりするのはおかしいという記事です。

もちろん当の選手本人はもちろん本人のために練習し、プレッシャーと闘い、競技に挑んでいるわけです。でもそこには、市町村で一番になりたい、県代表になりたい、日本代表になりたい、オリンピックに出場したいというステップがあったはずであり、それを励みしたからこそ頑張れたという面もあったのではないでしょうか。

グローバリゼーションが進み国家という概念が変化する中、日本人が活躍していると認識したり、自国の選手がどうこうと国家意識を持ち応援したりするのはは変だとする前出の記事、果たして本当にそんなにおかしいことでしょうか?もっと言えば、「国という概念はどうでもいい」と思っているという選手はどれほどいるでしょうか?

私はかつてフィギュア・スケートで伊藤みどり選手とクリスティン・ヤマグチ選手が金メダル争いを繰り広げた1991年のアルベールビル・オリンピックをアメリカで友人とテレビで観戦しました。またキムヨナ選手と浅田真央選手が金メダルの有力候補となっていた2010年のバンクーバー・オリンピックは韓国人と一緒に観戦しました。それぞれの国の方は、やはりヤマグチ選手、金選手が日本代表に競り勝ち金メダルを獲得したことを喜ばれていました。もちろん、両者の演技には日本人である私も感動しました。

しかし、前出の記事を読んだ時、日本人がオリンピックを観戦する際に持つ国家意識だけが、他国と比して変という指摘、どれほど的を射ているかという疑問が沸きます。そもそも日本の多国を全て同様と捉える「日本V.S. 他国」という比較が成り立つのかも疑問です。おそらく国家という枠組みが無ければオリンピックは成り立たないでしょう。最近、「難民選手団」や「個人資格にて出場」などもあります。しかし両者とも「国家」という枠組みがあるからこそ成り立つものであることは否めません。さらに、国家という概念のうえに成り立っているスポーツ大会はオリンピックだけではありません。多くの競技の世界選手権なども、国で代表となった選手が競技に挑むわけです。またそうでなければ、例えばアメリカ国内予選がオリンピックで入賞するより難しいといった競技もあり、表彰台を一国からの選手が独占っていう競技が多くなるのではないでしょうか?また、オリンピックに出場するために国籍を変える選手もおり、今回のオリンピックで金メダルを獲得した選手もいます。

いろいろ書きましたが、要はオリンピック中継を見るにあたって、「国家に対する概念が・・・」なんてこと心配しないで、純粋に自国から選出された選手の活躍を選手とともに喜び、全力で競技に挑む姿勢を讃える、また他国の選手の素晴らしい演技やレースに感動する、それだけでではダメなんでしょうか?

転職後一年経過

 まだ読者もいないと思いますが、更新を全くしないまま、転職後一年が過ぎ去りました。新しい職場に慣れるので、精いっぱいって感じの一年でした。

 前の投稿で、前職を行いながら博士課程を終えたと書きましたが、新しい職業は大学教員です。専門は、国際協力や平和構築といったところですが、人の移動全般に興味があります。現在は、日本へ入ってくる外国人の動向に関心があります。

 通常こういった学問は、社会科学部や今増加傾向にある国際学部的なところにある専攻かと思います。しかし、僕は文学部で教えています。その関係で、英語も教えています。そっちがメインになるとは思っていなかったのですけどね。

 一年大学教員をやった率直な感想は、校務が多いということだと思います。私が学生のころには知りえなかったことかもしれませんが、想像を超えていました。しかし、僕は結構ポジティブに楽しんでやれていると思います。

 大学教員の職務はよく(1)教育(2)校務(3)研究と三分割して語られますが、校務と教育にさほど境界線はないという印象を持っています。校務も携わった分だけ物事が進むという印象ですので、無駄なことをやったとい印象はありません。

 ただ、研究ができませんでした。それは多分「研究したいことが枯渇していた」ということに他ならないと思います。博士論文で一応自分の専門や知識を全投入してしったために、次が見つからないという現象です。特に二度と行く機会がないスーダンを舞台とした博士論文書いてしまいましたから・・・スーダンは大好きなんですけどね。また別の機会に書きます。

 一年経って、自然と今後取り組みたい研究テーマが見えてきました。それは、上に書いた増え続ける外国人とそれに対する対応が一点。もう一点は、昔からの専門である人道支援と、開発支援のかかわりについてです。平たく言えば、途上国に人道危機が起こると人道支援が行われます。でその後は?っていう話です。

 あと本執筆・編集作業を2件抱えています。今までの2冊の本の出版に携わらせていただきましたが、その都度ドキドキでした。間に合うのか、他の執筆者とのバランスはどうなのか・・・などなど。でも、自分の論理を整理するいい機会にもなると思います。

 今日は大学教員になって一年がたったこと、また職業に関しての現在の感想を書きました。これからさまざまな出来事への感想などもマメにアップしたいと思います。

 

 

 

退職

今日、12年勤めた職場を退職しました。実際の退職日は3月31日で、新たな職場での勤務開始が4月1日ですから一日も空いていません。12年間の間に、インドネシアスーダン、フィリピン、イエメン、アフガニスタンと勤務しました。今は、アフガニスタンから日本に向かう途中、経由地であるインドのデリーにいます。

 

またいろいろ書く機会もあると思いますが、12年間は職務を行っていたと同時に修士、博士課程の学習も同時に行った期間でもありました。修士課程は通信でしたので、同級生が皆、何らかの職務を行っている、また日本にいない人も多いという環境でした。そのように学生が実務を行っている、世界各地に散らばっていることをむしろ利用したプログラムでした。

 

しかし、博士課程にはそのようなプログラムはなく、通学している学生と基本的には同じ修了をこなすこととなりました。お世辞もあるでしょうが、よく「大変ですね」とか「よく終わりましたね」とか言われます。確かに大変なこともありましたし、博士論文を書いている最中は「果たして本当に終わるのか?」という恐怖心と常に戦っていたように思います。

 

ただ、仕事をしながら博士課程を行ったことによるメリットもあったと思います。まず、私は人道支援や開発支援の国際的な潮流といった国際政治的な視点と、それを受ける人々の日常といった人類学的な視点の融合を試みていました。よって、現場、フィールドがどうしても必要だったのです。専任の学生さんがこれをやろうとしても、時間やお金も掛かりなかなか難しいのではないでしょうか。また、常に仕事に追われている感、時間がない感があり、学業を先延ばしにできない環境も有効に作用したと思います。

 

4月からは研究が職業の一部となります。今まで海外における国際協力や、強制移動(英語ではforced migrationといういい表現がありますが、日本語は連想しにくい名称となっています。平たく言えば「何らかの理由で、望まない移動を強いられた人々」を指します)に関する研究を行って来ました。これからは、この視点をそのまま日本に当てはめて研究をしようと思っています。つまり、フィールドが日本になったという感じです。でも、日本に強制移動などあるのでしょうか?実は、結構あります。この辺は、おいおい書いて行きたいと思います。

西宮(準備編1)

初めてのブログ日記です。

4月から西宮市で生活することになりました。新しい仕事に就くこととなったためです。仕事も西宮市内です。

新しい仕事に就くための面接や、アパート探しのために西宮を数回訪れました。一目で好きな街になりました。

これから就く仕事は、文章をたくさん書く仕事です。しかし、今までの仕事ではあまり文章を書くことがなく、正直苦手です。ですから、文章を書くということの練習のためにもブログを始めようと思ったのです。

これからは、仕事に関すること、生活に関すること、趣味に関することなど幅広く書いていきたいと思います。自ずとブログの方向性が見つかるのではと考えています。

ブログの題名は「西宮日記」としたのですが、これは「地名+日記」の題名で既ににブログをされている方のものを真似させていただきました。この度、その方と同業者になるのですが、転職活動の際にその方のブログがとても参考になったからです。面識はまだありませんが、同じような方向性でと思ったものですから、真似させていただきました。

これから一週間に一回の更新を目指して頑張ります!