オリンピックと国家について

2018年冬季オリンピックが終了し、テレビ番組も通常のプログラムに戻りました。多くの日本人選手が健闘、メダルを獲得した選手、全力で競技に挑んだ選手、皆楽しませてくれました。

しかし先日このオリンピックに関して、日本人の国や国旗に対する姿勢がおかしいとする記事を見て、違和感を覚えました。それはフィギュア・スケートの羽生選手や多くの他の選手が国境や国家という枠組みを超え、海外のコーチに指導を仰ぎ、海外を練習場所にし、国境や国家という枠組みをいるからこそ活躍できたのであって、「どこの国の代表が勝った」と表現したり、その国の元首(日本の場合は安部首相)がお祝いを述べたりするのはおかしいという記事です。

もちろん当の選手本人はもちろん本人のために練習し、プレッシャーと闘い、競技に挑んでいるわけです。でもそこには、市町村で一番になりたい、県代表になりたい、日本代表になりたい、オリンピックに出場したいというステップがあったはずであり、それを励みしたからこそ頑張れたという面もあったのではないでしょうか。

グローバリゼーションが進み国家という概念が変化する中、日本人が活躍していると認識したり、自国の選手がどうこうと国家意識を持ち応援したりするのはは変だとする前出の記事、果たして本当にそんなにおかしいことでしょうか?もっと言えば、「国という概念はどうでもいい」と思っているという選手はどれほどいるでしょうか?

私はかつてフィギュア・スケートで伊藤みどり選手とクリスティン・ヤマグチ選手が金メダル争いを繰り広げた1991年のアルベールビル・オリンピックをアメリカで友人とテレビで観戦しました。またキムヨナ選手と浅田真央選手が金メダルの有力候補となっていた2010年のバンクーバー・オリンピックは韓国人と一緒に観戦しました。それぞれの国の方は、やはりヤマグチ選手、金選手が日本代表に競り勝ち金メダルを獲得したことを喜ばれていました。もちろん、両者の演技には日本人である私も感動しました。

しかし、前出の記事を読んだ時、日本人がオリンピックを観戦する際に持つ国家意識だけが、他国と比して変という指摘、どれほど的を射ているかという疑問が沸きます。そもそも日本の多国を全て同様と捉える「日本V.S. 他国」という比較が成り立つのかも疑問です。おそらく国家という枠組みが無ければオリンピックは成り立たないでしょう。最近、「難民選手団」や「個人資格にて出場」などもあります。しかし両者とも「国家」という枠組みがあるからこそ成り立つものであることは否めません。さらに、国家という概念のうえに成り立っているスポーツ大会はオリンピックだけではありません。多くの競技の世界選手権なども、国で代表となった選手が競技に挑むわけです。またそうでなければ、例えばアメリカ国内予選がオリンピックで入賞するより難しいといった競技もあり、表彰台を一国からの選手が独占っていう競技が多くなるのではないでしょうか?また、オリンピックに出場するために国籍を変える選手もおり、今回のオリンピックで金メダルを獲得した選手もいます。

いろいろ書きましたが、要はオリンピック中継を見るにあたって、「国家に対する概念が・・・」なんてこと心配しないで、純粋に自国から選出された選手の活躍を選手とともに喜び、全力で競技に挑む姿勢を讃える、また他国の選手の素晴らしい演技やレースに感動する、それだけでではダメなんでしょうか?