ボランティアって何?

 またまたちょっと自分が思ったことを書きます。

 大学教員になって、学生とボランティア活動を立ち上げました。内容は、公立小中学校に通う外国にルーツのある学童の学習支援です。最近外国人のお子さんが言葉の面、学習の進捗などの関わらず、公立小中学校に入り年齢だけで相当する学年で学ぶというケースが増えています。活動内容はまた後日書きますが、要は大学生が放課後そうした外国人の子どもたちの学習支援をするというものです。

 私の当初の考えとしては、日本で国際協力を学ぶ学生に現場の雰囲気を少しでも味わってもらいたいという気持ちで始めました。しかし、この活動を通して多くのことを学ぶ結果となっています。

 先日、実際に国際支援の実務を行っていた際に知り合ったいろいろな方からお誘いを受け、国際ボランティア学会という学会に入会し、先週学術大会に参加してきました。先述のボランティアもしているし、何か情報も得られるかなと入会しました。

 しかし、学術大会での発表などを拝聴し、自分の考えもかなり変わりました。ボランティアと聞いて、いわゆる国際協力を仕事と給料をもらってやる、つまりプロがやる支援と比較して小規模で、かなりできることも限られているというイメージを抱いていました。まあ、それは正しいのでしょうが、一段下に見ていたというのが事実かと思います。

 ところが、学術大会で再認識したことは、ボランティアはする側、される側を含有して初めて「ボランティア活動」が成り立つという点です。国際的な支援においても、例えば社会開発であれば参加型や草の根からのアプローチなどの言葉が頻繁に使われます。それは地元のことを理解して、社会や文化に沿った支援をという意味です。そうでないと持続的な開発に繋がらないということでもありあます。

 しかし、国連機関に勤務していた間、そのように言う人には本当に多く出会いましたが、それを実行している人には出会いませんでした。中には「魚を与えるのではなく、魚を取る方法を教える」みたいなもっともらしいことを言う人もいます。その人「方法」教えられるんですかね?というか、これはまさしく支援される側を支援する側が見下していることが無意識に現れていしまっている表現です、よく考えれば。

 一方私も最近まで過小評価していたボランティアは、全く違います。多くの場合、与える物や教える技術などはありません。またその多くが長期にわたり、また個人個人の名前を覚え状況を共有、理解しながら行われます。この点で先に書きましたように、ボランティアは、受ける側、提供する側がいて初めて成り立つ活動なのです。支援は片方でも成り立ちますね。

 現在、いろいろな方とお話し、また大学生と勉強する小中学生を見て、当初冒頭のボランティアを立ち上げた時とは、ボランティアに対して全く違うイメージを持っています。ボランティアには、かなり社会を変える力があると実感しています。